脱炭素化に向けた物流企業の使命と事業機会
日立物流 経営戦略部 主任の森尾直弥氏は、日立製作所の戦略シンクタンクである日立総合計画研究所(以下、日立総研)に出向していた2019年10月、日立グループの幹部向けに研究レポートを提出するタスクを課せられました。そこで森尾氏は、「サプライチェーンの脱炭素化に向けた物流企業の戦略」というテーマでの作成を決定。その理由について、森尾氏は次のように話します。
「サプライチェーンの脱炭素化は、物流企業としても社会的な使命であると同時に、日立物流ならではの新たな提供価値をつくり出す機会になり得ると考えたからです。
このように考えたのは、もともと日立総研で脱炭素化に関する投資家の動向や規制の枠組みなどについて調査・研究していたことがきっかけです。また、その中でサプライチェーン領域が世界のセクター別CO2排出量の44%を占めている※1など、脱炭素化には物流企業の貢献が欠かせないことを示すマクロデータも多く確認していました。
さらに、これとは別に、入社以来持っていた物流企業の価値創造方法についての根本的な課題意識も理由としてありました。これまで当社を含む物流企業は、荷主からのコスト低減ニーズに応えるため、数円単位の改善を積み重ねるといった努力を真摯に続けてきました。しかし、これからは提供サービスの価格を下げるだけではなく、物流企業自らが荷主に能動的に働きかけ、企業価値向上に貢献していくべきではないか、と考えていたのです。
このため、"脱炭素"を物流企業の提供価値そのものを変化させるドライバとして、関連付けたいと、構想していました」
経済界では「ESG投資」が盛んに言われるようになり、"E"(Environment)において、特に温室効果ガス(CO2)の削減に対する取り組みは、投資評価のキーファクターとなっています。さらに、気候変動対策が不十分な国からの輸入品に対し水際で炭素課金を行う「国境炭素調整」が議論され始めており、国を挙げての対策が経済全体に大きな影響を及ぼす未来が目の前に迫っている状況にあります。
欧州ではCOVID-19による経済的な打撃からの回復をグリーンリカバリーと称して環境ビジネスに成長の機会を託しています。再生可能エネルギー事業はもちろん、森林再生を加速する為のカーボンクレジットスキームから、消費者個人がカーボンオフセットに参加するアプリケーションまで、30兆円の巨費をEUが拠出する計画と報じられています。
その巨費の財源は国境炭素税の形で、環境に責任を果たしていない国や企業に負担させる構えであることも注視する必要があります。
脱炭素をきっかけとしたお客さまとの関係深化
現状、温室効果ガス(CO2)の測定方法を規定する改正省エネルギー法においては、仮定値から概算で推計を行う「改良トンキロ法」から、より精緻な実態データに基づき計算を行う「燃料法/燃費法」まで、幅広い計算方法が認められています。
今後直面する深刻な気候変動に対し、企業に求められる責任はさらに厳しさを増すことが想定されます。企業がより具体的で本質的な改善アクションを実行していくためには、より正確な温室効果ガス(CO2)排出量モニタリング、すなわち燃料法/燃費法に近い測定方法が議論のベースとなる可能性があるといえます。
しかし、実務として燃料法/燃費法に基づいた測定を行うためには、納品先までの輸送距離や、輸送資源、トラックの積載効率などの詳細なデータが必要になります。日々大量の商品が移動するサプライチェーンの現場において、それぞれの情報を収集し、可視化するには膨大な手間がかかる現実があるのです。
「将来的に、規制が厳格化され、より精緻な測定が要求されることになる可能性もあります。そして、それを見通したうえで、お客さまの個別の状況・ニーズに合わせ、幅広い測定方法に対応することが重要だと考えます。また、燃料法/燃費法レベルの精密な測定であっても、当社には、WMS※2やTMS※3のデータを自動収集するデジタル基盤がありますので、その基盤を活用すれば対応が可能です。」
また森尾氏は、本ソリューションの導入・運用プロセスが、お客さまとの関係を発展させるチャンスになると考えたといいます。
「サプライチェーンの脱炭素化をご支援するにあたり、お客さまと、CO2測定方法の選定や、測定結果を基にどういった改善アプローチが有り得るのかといった議論を互いに協調しながら行う過程が必要となります。当社にとって、この過程は、常日頃から折衝させて頂いている顧客企業内のSCM・物流企画部門などのご担当者さまに加え、CSRや経営企画といった部門のご担当者さまとも接点を持つきっかけにもなり得ます。」
「こういった接点を増やすことは、お客さまの事業・バリューチェーンに対する理解をさらに深める機会になります。そして、これが当社の中期経営計画で掲げている、"従来の物流領域を超えたご提案ができる企業"像につながっていくのだと思います」と森尾氏は語ります。
お客さまと社会の変化に対応しなければという共通認識が、
迅速な社内連携を可能に
2020年10月に、出向先の日立総研から所属元の経営戦略部に戻った森尾氏は、早速レポート内容をもとにソリューション開発のプロジェクト提案書作成に取り掛かりました。
前述のデジタル基盤に加え、日立物流が提供しているサプライチェーン最適化のクラウドベースソリューション「SCDOS※4」に温室効果ガス(CO2)の測定ロジックを組み込めば、スモールスタートで初期サービスの立ち上げが迅速にできるのではないかと森尾氏は考えたのです。
森尾氏は提案書作成後、所属部門長である経営戦略本部長 (執行役専務)の佐藤清輝氏に相談します。すでにレポートを読んで納得していた佐藤氏は、GOサインを発出。「脱炭素ソリューションプロジェクト」発足の瞬間です。佐藤氏は「SCDOS」を所管するIT戦略本部副本部長(理事)の佐野直人氏に相談するよう指示します。大手システム開発ベンダーでインフラソリューション構築を経験し、豊富な知見を持つ佐野氏は、提案書のポテンシャルを評価。森尾氏は即座に新規サービス開発を担うデジタルビジネス推進部のプロジェクトマネージャー6名に提案書を配り、参画者を募りました。
「それまで、個人的には脱炭素分野に特別な関心を払っていたわけではなかったのですが、森尾氏の提案書を読んで深く共感しました。そんな私を含め、ほぼ全員が手を上げたのです。それだけ、社会情勢の変化とお客さまの関心が、この分野に向いてきているということを社内の人間が感じ始めていたということでしょう」とデジタルビジネス推進部 部長補佐 兼 輸送事業強化PJの半澤康弘氏は話します。
「脱炭素ソリューションプロジェクト」への参画メンバーには、「輸送事業の可視化基盤構築」という親和性の高い領域を担当していた半澤氏のチームがアサインされました。2020年12月からプロジェクトが始動。まずは、2020年12月から2021年1月にかけてマーケット調査に乗り出します。ソリューションの開発方針を具体化するために、お客さまのニーズや有識者へのヒアリングを幾度も重ねました。
ソリューションをどのように金銭価値に置き換えるかが課題
ソリューションの企画・設計を進めるなかで、主なハードルは3つありました。
① 測定結果の客観性をどう担保するのか。
② 測定結果の正確性をどう担保するのか。
③ ソリューションが金銭的価値にどう結びつくのかを社内外に説明すること。
「特に難しかったのが3点目の金銭的価値についてであり、このサービスがどこまでビジネスにつなげられるのかが課題でした。温室効果ガス(CO2)削減のレポートとしては、ESG投資対象にしてもらうための立証要素の一つにすることはできても、お客さまが直接金銭価値に置き換えることは難しいと思われたからです」と半澤氏は打ち明けます。
特にお客さまがB to B企業の場合、消費者が社会課題を意識して買うものを選ぶ「エシカル消費※5」には直接関わらないからです。この場合、そこに直接関わることになる、お客さまの顧客となるその先の「to C」企業を意識した打ち出しが必要となります。
「その点、消費者の意識も速いスピードで変化しています。消費者がサプライチェーン全体の脱炭素化を意識する時代になれば、このソリューションはより大きな価値が提供できるようになると思います」(半澤氏)
一方、温室効果ガス(CO2)の排出削減量や吸収量を「クレジット」として国が認証する「J-クレジット制度」があります。このクレジットを売却して省エネ投資を行うなど、クレジット購入者が脱炭素化への取り組みとしてPRし企業価値を高めるといった効用があるものです。「J-クレジット」に組み込むにはCO2排出量が明確に測定できることが条件となりますが、本ソリューションを活用しての共同配送化や将来的なZEV※6車両化によるCO2削減量のモニタリングは、明確なエビデンスになる可能性があります。
「そのうえ、CDP※7での高い評価が持続的な株価上昇と相関性があるというデータや、Alphabet(Google持株会社)が脱炭素化の進捗状況を公開することなどを条件に、0.45%という超低金利のサステナビリティボンドを発行するケースなどが、グローバルには出始めています。これは、温室効果ガス(CO2)排出量・削減量の定量的な把握と投資家への開示が、WACC(加重平均資本コスト)の低減に寄与するポテンシャルを示していると言えます。つまり、ソリューション化できれば、導入したお客さまの企業価値向上に貢献できる可能性があると考えました。そして、結果的にこのソリューションを提供する日立物流自身の企業価値を高めることにもつながると思っています」と森尾氏は語ります。
さらに今後は、炭素税の導入なども含めた温室効果ガス(CO2)排出権取引のスキームが変わる公算が大きく、CO2排出量の定量的なモニタリングの仕組みは企業にとって必須の課題となることは間違いないと言えるでしょう。
可視化から削減提案へ、さらなるソリューションの拡張と強化(サーキュラーエコノミー化支援)
ソリューション開発そのものは、2021年2月~3月の2カ月というハイスピードで仕上げることができました。2021年4月からお客さまである消費財メーカーA社において6カ所の営業所をつなぎ、CO2排出量のデータを収集しBIツールで可視化するフィージビリティスタディを始めているところです。
「こうした俊敏性も、『SCDOS』というプラットフォームの持つ強みです。」と半澤氏は胸を張ります。
現在は可視化がメインのサービスではありますが、荷物の集約や、輸送モード変更のレコメンドを自動計算する仕組みにもトライしており、今後は輸送効率化も提案していく予定です。
「さしあたり、同一地域内での共同配送提案に、コスト+αの価値としてCO2削減効果を付加することを考えています。従来、共同配送などの効率化については、お客さま側は総論賛成でも納品時間など条件変更には踏み切れないというケースが多い状況でした。CO2削減効果をファクターにすることで、そこが一気に変わるモメンタムを感じます」と半澤氏は意気込みます。
さらに、サーキュラーエコノミー※8化の支援について森尾氏は次のように語ります。
「欧州地域において、サーキュラーエコノミーが実現された場合、温室効果ガス(CO2)排出量が2050年の予想ベースライン値に比べてほぼ半分程度まで削減されるほどのインパクトがあるという試算があります。お客さまのサプライチェーンのサーキュラーエコノミー化を支援するスキームが構築できれば、脱炭素化ソリューションを補完・強化することが可能となり、さらにお客さまと社会に貢献できると考えています」
世界が脱炭素による持続可能な社会に向けて急速な動きを見せる中、脱炭素ソリューションは、脱炭素社会化において企業価値を支援する重要な役割を担っていくことでしょう。
※所属部署、役職等は取材時のものになります。
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※1 エネルギー需要側を100%とした場合。国際エネルギー機関(IEA)調査レポートによる
※2 WMS=Warehouse Management System:倉庫管理システム
※3 TMS=Transportation Management System:輸配送管理システム
※4 SCDOS=Supply Chain Design & Optimization Services:日立物流のソリューションサービス。物流現場の状況をリアルタイムに把握し、将来リスクや改善ポイントを抽出。的確な判断と迅速なアクションを支援してサプライチェーンの改善速度を高速化する
※5 エシカル消費=消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮し、地球環境や社会に配慮した消費活動を行うこと
※6 ZEV=Zero Emission Vehicle:電気自動車や燃料電池車などの走行時にCO2を排出しない車
※7 CDP=Carbon Discloser Projectを前身とする、気候変動などの環境分野に取り組む国際NGO。収集した企業の気候変動に関する取り組み情報を機関投資家に対し、報告・開示する活動を行っている
※8 サーキュラーエコノミー=製品と資源の価値を限りなく長く保全・維持し、廃棄物の発生を最小化して循環的に利用し続ける経済モデル