これまで"日常の当たり前"を陰から支えてきた物流ネットワークだが、いまほど注目されている時代はない。いまや物流は、社会インフラとして経済活動や日常生活に不可欠な存在であることが、あらためて浮き彫りになった。
その一方で、物流の危機も叫ばれている。
物流の足元を支える輸送事業者の9割以上が、社員50名以下の中小企業だ。非効率な荷待ちなどによる生産性の低さに加えて、慢性的なドライバー不足や高齢化など人的な課題に直面しているが、経験や勘を頼りにカバーしてきた。
このようなかじ取りの難しい社会環境のなか、日立物流では、物流業界全体の最適化、物流DX(デジタル・トランスフォーメーション)の実現に向け、「SSCV(Smart & Safety Connected Vehicle)構想」という新たな取り組みが進行している。
SSCV構想 ―その発想の原点は、日立物流にとって深刻なものだった。
いつまでたっても事故がなくならないのはなぜか、事故原因を究明せよ
2015年、全国に約310ある同社営業所の1か所で、わずか5か月の間に立て続けに3件の事故が発生した。
大事には至らずにすんだが、ドライブレコーダーを確認したところ、居眠り・脇見・携帯操作のいずれでもなかった。ではいったいなぜ、事故を防ぐことができなかったのか。
ドライバーへの事後ヒアリングによると、「妻が闘病中で悩んでいた」、「親の介護で慢性的な精神疲労が続いていた」という事実が浮かび上がってきた。そうした心が不安定な状態から、「目は開いているが、何も見えていない」状況。つまり「漫然運転」が原因ではないかと推測された。
当時、この営業所を管掌していた佐藤清輝執行役(現執行役専務)は、事態を重く見た。すぐさま担当部長の南雲秀明氏(現輸送事業強化PJ SSCV強化グループ長)を呼び出し、「いつまでたっても事故がなくならないのはなぜか。その原因を突き止めよ」と厳命した。
佐藤氏は日ごろから、事故が発生するたびに現場の管理部門からあがってくる事故対策の内容に疑問を持っていた。いずれも似たりよったりで、結局のところ安全教育の徹底や送り出し時の注意喚起にとどまっていたからだ。
そしてもうひとつ、佐藤氏が気にかけていたのが、運行を管理する側と輸送現場のドライバーとの間に、事故対策に対する意識の違いや温度差があるのではないか、ということだった。当時を振り返って佐藤氏は「3PL事業が拡大していくなかで、輸送の外注率も年々高まっている。こうした中で、外注先とのパートナー意識が薄れ、現場に寄り添う気持ちが軽くなってしまったのではないか。そのため、荷主に代わって『商品』を効率的かつ安全、ていねいに目的地まで届けるという3PLの本来的価値を減じてしまっているのではないか。」と感じたという。
世界初のアプローチで、自律神経の疲労と事故の相関関係を検証
2016年、佐藤氏のこうした思いを確かめるべく、ある試みがスタートした。自社ドライバーに最新テクノロジーを活用したデバイスを装着させ、疲労と事故につながる事象との関連性を定量的に計測しようとしたのだ。
自律神経の疲労を測るもの、眠気を感知するもの、衝突リスクを事前に警告するものなど、「最新テクノロジーとつけば、片っ端から試した」(佐藤氏)という。
3か月の間、国内外のあらゆるデバイスや技術で調べようと試みたが、手がかりを見つけ出すことはできなかった。
だが、思いもよらぬところから救いの手が差し伸べられた。日本疲労学会の理事を務める大阪市立大学の倉恒弘彦教授から佐藤氏に連絡が入ったのだ。
「自律神経の疲労と車両の挙動異常との間には、学術的に相関が認められる可能性があることはわかっているが、それを運行中の生体データとひもづける試みは世界中の誰もやっていない。一緒に取り組んでみませんか、と言ってくれた」(佐藤氏)
同教授からの申し出により、課題解決のための試みは、医学的な見地からのアプローチを含む本格的な実証実験へと変わり、日立物流、大阪市立大学に、日立製作所のヘルスケア研究開発部門、三菱HCキャピタル、独立行政法人理化学研究所を加えた、産・官・学5者の連携による共同研究がスタートすることになった。
「共同研究の目標は、AI(人工知能)やIoTデバイスの活用により、運行中の『疲労』と『運転行動』をリアルタイムで完全に見える化し、事故だけではなくヒヤリハット自体を完全に撲滅したい」
当時の思いを語るのは、現在はSSCV事業で指揮をとる南雲氏だ。
労働災害の代表的な経験則に「1件の重大な事故の陰には、29件の軽微な事故が隠れている」とある。さらにその裏側には、300件のヒヤリハットがあるというハインリッヒの法則があるが、本気で「事故ゼロを実現したい」という思いの表れだったのだろう。
実証実験で有効性を確立
2017年度から保有車両の一部にデバイスを装着し、運行前後のドライバーの健康状態と、車両の挙動との相関関係を検証するフェーズ1をスタート。
2018年度には、交感神経・副交感神経のデータと車の挙動やインシデントの画像データを紐付けすることで、体調(疲労)とヒヤリハット事象との相関性があることを突き止め、「運行前後の体調と事故リスクの相関性」というテーマで、倉恒教授による疲労学会での発表と査読付き論文誌に掲載することにつながった。
2019年度には、フェーズ2として日立物流グループの全保有車両およびドライバーにデバイスを装着して、運行中の生体データ(体温、血中酸素濃度、血圧、自律神経の疲労度)を取得し、医学的な根拠をもとにヒヤリハットとの相関関係を実証した。
上記の研究結果は、安全運行管理ソリューション「SSCV-Safety」として「出発前点呼サービス」、「運行中ドライバー向け注意喚起サービス」、「管理者への運行中の有事情報通知サービス」、「運行中データ可視化サービス」、「帰着後点呼サービス」の5つのサービスという形で利用可能となっている。
「運行中ドライバー向け注意喚起サービス」では、運行中のドライバーに対し、危険運転・危険状態などが発生した際(衝撃、衝突直前、車間距離不足、車線逸脱、ストレス異常など)に警告音を発する。「管理者への運行中の有事情報通知サービス」では、AIなどにより自動検知された20秒のインシデント動画が送信される。
「運行中データ可視化サービス」は、ストレス状態にあるドライバーの現在地をリアルタイムに色分け表示するというものだ。また、AI検知できない他車両の割り込み、逆走、幅寄せ、落下物、工事状況、事故情報などは、ドライバー自身がIoTボタンを押下することにより、管理者および他のドライバーと情報共有ができる仕組みだ。
漫然運転による車両事故ゼロに大きな反響
保有車両へのテスト導入により、すでにさまざまな効果が生まれている。
2015年に3事故を立て続けに惹起した営業所も含めた日立物流グループ全社で、漫然運転に起因した車両事故ゼロを継続中だ。ヒヤリハットは全営業所で8割減を達成(2019年7月約600件に対し、2020年7月は約100件)。また急発進、急ハンドルへの警告が出されるため、結果として各ドライバーが丁寧な運転を心がけるようになり、輸送品質が改善された。また、燃費が5%改善され、CO2削減、脱炭素、環境経営にもつながっている。
帰着後には、その日あった異常を動画で確認しながら1日の振り返りができるようになり、運行管理者とドライバーとのコミュニケーションも深まっているという。
2015年以降、このプロジェクトの指揮をとり続ける南雲氏。当時の上司であった佐藤氏よりプロジェクト推進の命をうけた際、戸惑いながらも企画書を書きあげたが、「どんなものにできるのかまったく見当がつかなかったし、社内で理解を得るのもハードルが高いだろう。そんな思いが強かった」と語る。
しかし、いまでは自社グループ内にとどまらず、同業他社やバス事業者、社用車を持つ企業などから大きな反響を呼んでいる。安全対策から始まったSSCV-Safetyだが、物流業界全体のDXに広がりを見せている。後編ではSSCV構想全体像を紹介する。
※所属部署、役職等は取材時のものになります。